40代未亡人の迷走日記

日常のあれこれ、未亡人のおばさんが迷走している日記です。

一人で育てる必要なし!未亡人になった私の子育て

旦那は子どもを産む前に亡くなりましたと言うと、大変ですね、苦労されてたんですねと気をつかってもらえるのですが、本人としてはそうでもないです。

理由は

『夫のいる子育てを知らないので、いる事の良さも悪さも比べようがないから』

子育てを共にした時間が長い未亡人の方は思い描いていた人生設計の大幅変更を余儀なくされるので大変ではないかとお察しします。

 

子どもが生まれてから数か月たったある日、私の中でひとり親で育てる気持ちが楽になったきっかけの出来事があります。それは私の父の言葉です。

 

お前には兄しかいないから、姉弟妹がいなくても何も思わないはずだ。そして兄が居ない人に可哀想と思った事はないはずだ。それと同じで、この子は父親がいないことが当たり前なので何も思わないやろし、ほとんどの人が父親がいるから可哀想と思うだけで、兄が居ない人に対する理屈に当てはめると父親がいないから可哀想と思う必要はない。変に難しく考える必要ないぞ。

 

ストンと心に落ちました。なんだかんだ誰よりも息子の事を可哀想と思っていたのは自分なんだと。それからは肩の力を抜いて子育てを始めました。

 

息子の子育ては両家おじおばの力を思いっきり借りてます。兄は父親代わりに運動会や行事毎に出席し、義姉は国内海外と旅行に連れて行ってくれました。
兄は『俺は経済的な支援はできへんから、身体で奉仕する。金銭面は向こうにお願いしてな』と。
義姉は『経済的な支援ぐらいしか出来ないけど、何かあれば言ってきてね』と。
息子の奨学金の保証人は普通なら兄やと思いますが、義姉に頼みました。それぐらい良い関係性を自分の兄だけでなく、義姉とも築けたのは夫が居たら絶対にありえない事だと思います。

 

私が力を借りたのは身内だけじゃありません。小さい頃は保育園の先生方、当時の職場の方、たくさんの方に支えられて私は子育てできたので、決してひとりではありませんでしたし、息子にも下記の言葉を言いながら育てました。

無い物を数えるのではなく、ある物を数える。その方が嬉しいよ。

お父さん居なくても、その分たくさんの人が色んなものくれたりするのは嬉しいね。


そうやって私は成長のさまざまな場面で信頼できる方に助けてを求めながら子育てしました。

 

最近息子と話してたら、小中学校の頃はお父さんが居ないことを話するのは嫌で避けていたけど、今はもう気にしてないと言っていました。
『父のいない事は、僕にとっては人生経験の一つとして考えてるよ。他の人にはできない経験だし、それも俺にしかない売りやで』

 

息子が自分の中で消化できた事を聞いて、私の子育てもそれなりに良い方に消化された形になったのかもしれないなぁ…なんて思いました。自分の意思を持ち人生を決めていく姿に、子育てを助けていただいたすべての方に感謝しかありません。

 

今回伝えたい事

  • 無いことを嘆くのではなく、あることに感謝する
  • 可哀想と思うのではなく、幸せだねと思う子育てをした方が楽。