40代未亡人の迷走日記

日常のあれこれ、未亡人のおばさんが迷走している日記です。

アントニオ猪木さんの訃報に接して

アントニオ猪木さんの訃報を知りました。また、1人、自分の子どもの頃のスターの訃報を聞くたびに、自分がそれだけ歳を重ねた事を痛感します。

 

影響された兄に技をかけられた小さい頃

私にはプロレス好きなの兄がいます。現在も後楽園ホールに見に行っている様ですので、好きは現在進行形みたいです。
小さい頃は、兄が見ていたプロレス番組を横で見ていたはずのに、興味がないので記憶に全く残っていませんでした。
昨日TVの猪木さん追悼コーナーで、猪木さんが戦った試合が流れた時に

「延髄斬り」「コブラツイスト」「卍がため」など

懐かしい言葉に、小さな頃に兄からプロレス技をかられた記憶が蘇りました。
痛かった…でもなんか細やかな私たち兄妹の思い出です。母が止めたか?いつのまにかプロレス技を私にかける事もなくなったなぁ…

 

本人を近くで見たらやはりオーラがあった

私はとある新聞社のグループ会社で10年ほど前に働いていました。同じビル内にある新聞社のスポーツ紙のフロアに

「今アントニオ猪木が来てるよ!」

と営業さんが教えてくれました。1人では流石にスポーツ紙のフロアに入ることができないので、猪木さん見たさに営業さんに行きたいとお願いしスポーツ紙のフロアに行きました。
すでに多くのギャラリーが集まっていました。フロアの端っこに入れてもらって、遠目にフロアの真ん中に記者の方と話をされている本物を見て

「うわあ!生猪木やっ!」

と特にファンでもない私でも嬉しくなってしまいました。

用事が終わり、猪木さんが帰られるまえに記者の1人がお願いしたのでしょう、闘魂注入のビンタをされ

最後は

「1・2・3 ダー!」

でフロア全体が一体感で盛り上がるという一連のお約束を実際に体験できました。
やっぱりなんとも言えないオーラがありました。

もちろん、そのことをすぐに兄に伝えると羨ましがっていました(笑)

引退時に話した言葉が、今ならとてもよくわかる

人は歩みを止めたときに、そして挑戦をあきらめたときに

年老いていくのだと思います。

 

この道を行けばどうなるものか

危ぶむなかれ

危ぶめば道はなし

 

踏み出せば

その一歩が道となり

その一足が道となる

 

迷わず行けよ

行けばわかるさ

道の詩は、前々から知っていたのですが、私が注目したいのはその前にある

人は歩みを止めたときに、そして挑戦をあきらめたときに、年老いていくのだと思います。

 

40代後半になると、詩を言うこの前の部分の方が心に響きますね。
そうだ。歩みを止めずに、挑戦をあきらめることなく生きていけるようにしようと。
どうしても年齢を言い訳に、やりたいと思った事に挑戦しない自分が居ます。
それを言う時点で年老いて行っていることを自覚しなきゃいけませんね。
歩みだすことが不安でも、歩みを止めなければ道ができるのです。
とにかく、深く考えずに前に一歩踏みだして、とにかく進んでいくことが一番だと。

 

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多くの人に影響を与えた、アントニオ猪木さんのご冥福をお祈りいたします。
最後まで挑戦をあきらめず、この言葉の通りに一生を終えられた姿は尊敬しかありません。

 

今日は、兄が編集してくれた「猪木の曲CD-R」 にある「猪木ボンバイエ」を久々に聞こうかと思います。
どうやって多くの猪木さんに関係する曲を入手して編集したのか、マジで謎。

 

今回伝えたいこと

良い言葉は、自分の人生に気づきを与えてくれる