40代未亡人の迷走日記

日常のあれこれ、未亡人のおばさんが迷走している日記です。

思考のリハビリが必要な私

世の中も少し緩和ムードになりつつあるので、ママ友達が飲みに行こうという話になりました。
彼女達と飲みに行くのが嫌なわけではないんです。実は飲みに行く候補日の翌日も友人と会う約束が決まっていました。

私は週末ぐらいダラダラと家事したい派です。1日だけテキパキと家事を片付けるのは耐えれるのですが、2日間予定が入ると平日と同じぐらいの早さでテキパキ片付けすることを想像しただけで身体が休まらない…

 

正直、誘われた日に予定はなかったのですが、そんな自分勝手な理由で乗り気がしないのです。

 

昔から母親に

「人に誘われたら無理にでも行きなさい。誘ってくれるのはありがたい事だよ。
断ってばかりだと、そのうち誘ってもらえなくなるから行きなさい」

と言われ続けたので、後々疲れが出そうなお誘いでも無理に出席していました。

 

行く前は疲れそうと思っていても、行ってみれば楽しかったりするので、確かに無理してでも参加して良かったなと思う事が多いのです。
この点に関しては母の言う事は正しいと思います。

 

せっかく誘ってくれてるのだから、行かないとダメ。誘ってもらえなくなる。
従来の思考にがんじがらめの私

VS

行けるんだけど断りたい。週末ぐらい無理したくない。
本音の私

悩みぬいた挙句、今回は本音の私が勝利しました。

 

確かに気の合う仲間の飲み会なので楽しい時間は想像でき、断ると今後誘われなくなるかもしれないけど『プライベートを自分を中心に考えるべき』を実行しようと思い、今までの私なら絶対無理してでも行ってたのですが断わりました。
私の中では、かなりの罪悪感に値する行為です。

 

でも、ここでも根底にあるのは
母の考え方

「人の誘いを断っていると誘われなくなるよ」

自分の中で知らず知らずのうちに

『自分の素直な気持ちを封印して、他人にあわせる事を優先してしまう』思考回路になっていること


母の考え方と私の考え方は違うのに、どうして母の考えを正しいと思い込んでいたのか。母は人と関わることが苦にならない人で、私は人と関わることが時に苦になる人です。

この歳になってやっと冷静に判断できますが、親に保護されている間は親に従うのが私にとって正解だったのです。
大きな反抗期がないまま成長してきた反動が、今頃私の思考回路にのしかかってきています。

 

私の思考は仕事だけでなく、プライベートも他人に合わせる事や、応じる事が正しいと思ってしまっているとは…
私に強い意志がないのは、他人に合わせる思考が染み付いているからなんだと。

 

私は思考も子どもの頃のように自分中心に動くようにリハビリせねばならないようです。
少しずつ変えていく事で、自分中心に真っ直ぐ動く思考になれるかと。
思考リハビリは一緒に支えてくれる理学療法士の人はいませんので、ブログで本音を吐き出すのがリハビリの一つになりそうです。

 

五十肩もリハビリ、心もリハビリ
時間かかりそうですが、毎日リハビリ訓練して、従来の動きを取り戻そうと思います。

 

今回伝えたいこと

自分の気持ちに素直に動く

自分の固まった思考回路を変えたいなら、少しずつ変えていく練習をすればよい