うちの息子の行っていた高校は、地元では「進学校」と呼ばれています。
中学受験組が非常に優秀なため進学校と言われるのですが、息子は高校入学組、学校の中のヒエラルキーでは「下位層」となります。中学受験組は東大・京大、もしくは医学部を目指す生徒が多いのに比べ、高校入学組は公立高校と変わりなく。
在学中にこの高校で「生徒の合格体験記」が配られました。東大京大に進学した生徒の合格体験談です。正直、我が家とは縁がない世界ですので、読んだところで全く別世界の話なのですが、優秀な人の考えとは、どういうものか?というのが気になり読んでみました。
個人的な感想は
「頭のいい人は、こういう思考回路をしているのか」
どれぐらい勉強を頑張って、どれぐらい模試の判定だったが、当日までのサクセスストーリーを書くのが一般的な合格体験記と私は思っていました。もちろんその流れで書いている子もいます。
ですが、中にすごい体験談があります。
東大に進学し、専門学校に通う
(両方諦めきれないからみたいですが、すごすぎる)
頭は良いが人としてコミュニケーション能力に問題ありそうな内容
(勉強以外は人間関係もすべて捨てるほどの割り切り)
普通の体験記ではなく、論文みたい
(書いた人はこの世の中を動かしていく人になるのでは?と思う説得力があった)
親のサポートが尋常じゃない
(普段の世話と金銭も含め、私には無理)
なかなか興味深かったです。私の周りは普通に働いている人しかいないので、世の中を動かす側になる人というのは、こういう思考回路をしているんだと勉強になりました。そして東大に進む人の家庭が裕福な人が多いというのも納得させられました。親から十分なサポートなしに進学している東大京大(特に医学部)の人は、自分に誇りを持ってください!
その話を教師である姉にしていると
「頭がいいだけじゃねぇ…人として常識が欠如しているのはどうかと」
姉のことは嫌いではありませんが、私としては、日本の教育機関はそういう「頭のいい人」を褒めず「人として常識が欠ける」といって評価するのはいかがなものか?と思っています。
私は、こういう人を「面白い」として評価しています。だって自分には到底及ぶことのない頭の良さですし、私はこういう頭のいい人の力があったから、今の日本の発展があったと考えています。
そして姉の発言する「人としての常識」に対しても疑問があります。
道徳で「人に優しくしましょう」と教えられ、そのことに対して納得はしています。でも優しくする方法は人によって違うと思うのです。
行動で優しさを見せる人、言葉で優しさを見せる人、間接的に優しさを見せる人、でもどの人も「優しさ」の方法に間違いはないと思います。
人として欠如している発言は、教師が子どもに教える「人間らしさのイメージ枠」に単に合致していないからそう判断しているような気がしてしまいました。
姉だけの感覚なのか?それとも日本の教育現場全体がそういう感じなのか?そこが少し気になりました。
前から思っていたのですが、小学校では運動ができる人は褒められるのに、勉強ができる人は褒められていないイメージがあります。
みんな違って、みんな良い。今は褒めて伸ばす時代と学校ではよく言われるのに、今の教育現場で勉強ができる子は褒められているのでしょうか?成績表で評価してるというのではなく、他の生徒たちの前で褒めているのでしょうか?
公立の教育現場であればあるほど、良いところは堂々と褒めてあげて欲しいと思います。
今回伝えたい事
子どもが個性を発揮し、活躍し、生きやすい世の中になってほしい