40代未亡人の迷走日記

日常のあれこれ、未亡人のおばさんが迷走している日記です。

法事をするのは跡継ぎとして当然なの?

最近、宗教2世の問題とか、何かと新興宗教団体がらみの話をよく耳にします。今まで案外目に入ってなかったのですが、街中で布教活動をされている風景を目にします。
私の住む街にも宗教を信仰されている方結構いるなと。
私に迷惑がかからないのであれば、人が何を信仰しても私は全く問題ないと思っています。

 

信仰熱心な夫の実家

私は出産前に夫を亡くしたこともあり、精神的に誰かもしくは何かにすがりたいと思う気持ちはよくわかります。自分の力ではどうしようもない事に遭遇すると、「よりどころ」が欲しくなってしまうのかと思います。
義母も子どもを2人亡くしている事もあり、檀家である浄土宗を熱心に信仰しています。御詠歌隊で活動して信仰に熱い人です。最近はさすがに活動する気力がなくなってしまいましたが、毎日仏壇に手を合わすことは欠かさない人です。義姉もどちらかといえば仏教信仰をきちんとしている人。色々仏教の教えに救われてきた様ですので、こちらにくると必ず成田不動尊に行きたがります。
息子も仏教系の高校を卒業したので、義母と義姉の考え方に理解は示せるようです。
墓参りに行くと私以外の人間は般若心経を何も見なくても言えるのです。ひょえーと思いつつ。

 

息子の負担になる先祖の法事をさせたくない私

墓参りの帰りに、ふと。今度の夫の法事はいつなのか?という会話になり、今度は二十三回忌。おそらく今度は伯母・私・息子の3人でするかもねと。
この前十七回忌が終わった気がしたのですが、時は立つのが早いです。

息子が「法事って何回忌まであるん?」と言うので

義姉が「五十回忌かな?そのころは私たちも年寄りになってるから、父親の法事の段取りは〇〇くん頼むね」
確かに、そのころ私も義姉もおそらく80歳前後。

 

夫一家の考え方は「伝統を継続する事が大事」
でも私は次の代が少しでも負担を軽くするようにしたいと思っています。

だから私はなんとなく複雑な気持ちになりました。息子が存在しているのは夫が居たからですが、顔も知らない見たこともない父親の法事を息子がする必要があるのだろうか?先祖が要るから今がある。それも理解できますが…。

跡継ぎという考え方を持つのも限界があるので、ここで時代に合わせた対応をしていかないと思うのです。悪い嫁と言われても私は実行すると思います。

 

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帰りこそっと息子に言いました。

「おばちゃんは法事をするように言ったけど、あなたの判断で構わないと思う。顔も見たことない父親の法事をする必要ないと私は思う。50歳のあなたがその時決めたらいいよ。ただ、伯母が生きていたら頑張ってね(笑)」

 

今回伝えたい事

伝統を守っていく事と新しい物を受け入れる事。
どちらも正しくて、どちらも難しい。