40代未亡人の迷走日記

日常のあれこれ、未亡人のおばさんが迷走している日記です。

推しと会話するより近くて見るぐらいがちょうどいい

推し活を程よく楽しんでいるが

先日、推しのニューリリースCD発売記念のイベントでCD購入者には推しがサインをしてくれると言う事で、人生で初めて推しと話をする事ができた。

 

いやぁ…50歳のおばさんだからこそ緊張します。

若い子なら推しも嬉しいやろうけど。こんなおばさんですから。推しも面白くはないはず。

 

自分の順番を回ってくるまでに、何話しかけようかと…ぐるぐる。

変化球がいいのか、オーソドックスがいいのか。

結局オーソドックスなトークを選択した。

こんなおばさんですけど、推しは優しく義務笑いをしながらサインを書いてくれた。

嬉しいけど、緊張が先行して楽しめなかった。

私の前にいた男子なんてスタッフに剥がされるまで推しとトークを続けていた。なんとも羨ましい。

 

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あれだけもっと推しの近くで見たい!と毎度毎度思うのに、どうしていざ間近で見られる機会になると、楽しめない私が情けない。

 

そんな感じでちょっと落ち込んだ帰り道で、6月に行ったWEST.のライブで、重岡くんがすっごい嬉しそうな顔しているのを肉眼ではっきり見れただけで、私はすっごく幸せな気持ちになったのを思い出した。

 

私は推しを近くで眺められるのが一番幸せらしい。

学生の時に好きな人を目で追ってしまうぐらいの距離感。あれぐらいが一番良い。

キャーキャー言ってしまう憧れの状態?やや片想いの状態みたいな。

 

推しは非現実の中にいるから、近すぎると現実になっちゃうのが嫌なのかもしれないな。

自分の世界の中でキラキラしてたらそれでいい。

こんなんだから、もしプライベートで推しに遭遇しても、絶対に声かけられへんな

忙しい日々の中に、推し活が必要な意味がわかった

3月ぐらいから公私ともに忙しい日々が続いていた。

忙しい中でも、やりたいことを優先にして日々過ごしていたために、あまり休むことができずギリギリの生活からやっと一時解放された。
7月に入ると1か月ほど仕事が忙しくなるので、ひと時の休息がうれしい。

 

ただ、この3か月余暇でやりたいことは譲らなかった。過去の私なら休息中心だったから、年齢を考えると行動が逆行している気がする。

 

譲れないイベントの一つに、WEST.のライブがあった。
今回は、驚くほどの良い席だった。席に到着したときに「やばすぎる!」と叫んだ。

基本は積極的に人に話しかけるタイプではないが、思わず周囲に座る人たちに「やばすぎるよね!」とうれしさを共感したく話しかけてしてしまった。

 

人生初の神席は、肉眼で彼らの表情を見ることができた。
夢のようなひと時だった。

今回の席は、2週間以上経過した今でもその余韻に浸ることができるほどの破壊力。

 

最近のしんどい日々の中で、疲れはたまり、イライラし、失敗をするたびに

「まあ、あんな良い席にあたったんだから、忙しいけど頑張らないとな」

と何度も思った。

 

推し活ってすごい!

人生を前向きに進めてくれる!

 

体力のない私は週5日働く事と週末に余暇を楽しむことは厳しいので、今後も正社員で働けそうないが、(そもそも年齢的にも採用されないか)
もう少し若いころに、余暇を楽しむことをちゃんと知るべきだったなと。

推し活のおかげで、もしかしたら更年期も少し楽になってるかもしれない?と思う今日この頃。

 

次の推し活は、9月にあるのだが、ボランティア活動のイベント日と重なってしまった。
以前の私なら、ボランティア活動を優先していたが、今の私は

「自分を大切にしたいから、ボランティア活動より推し活!」

 

どうやって断ろうか悩んでいる。代役を立てろって言われるのがオチだが。

負けずに言ってみよう。

「ケーキの切れない非行少年たち」を読んだ

タイトルを見て、なんとなく気になったので図書館で借りて読んでみた。

www.shinchosha.co.jp

そのタイトルの通り、非行少年たちのことについて書かれている作品だった。
ホールケーキを3等分に上手く切るという「ごくごく簡単な」ことができない少年たちがいるということ。
この簡単なことができないのは「認知能力が低い」ことが原因だという。

認知能力が低い事はどういう影響があるのか。

いくら反省するべき題材やカリキュラムを与えたとしても、認知能力が低いためにそもそも物事の本質を理解できていないと作者は述べていた。
だから再犯をしてしまうことも多いそう。


認知能力が低い少年がそこそこいるというのが、驚きだった。

高齢者が認知能力が低くなってきて、いくら言っても理解ができないのをよく見かけるが、それと似たような状態の少年たちがいるということ?なのだろうか

IQが普通でも認知能力が低い事もあるそうだ。だから難しい。

読めば読むほど、「私も他人事じゃない」って思ってしまった。

おそらく人と関わることに必要な認知能力はあるのだろうけど、運動能力はかなり低いと思う。体育の授業では、先生にいくら言われても理解が一切できなかった。できないからクラスみんなから笑われ、体育に関することは嫌で仕方なかった。


認知能力の低い子たちは、それが勉強の時間全部と考えると、馬鹿にされて、自己肯定感は低くなるし、学校に行くのは嫌になるのはわかる。
皆ができることに、どうして自分はできないのか?
決して怠けているわけじゃないのに、真面目にやれとか話を聞いているのか?とか言われていただろう。できない理由がわからず、もがき苦しんでいたんだろうなと。

 

 

読み進めているうちに、印象に残ったのは

そういう少年たちも、更生されていくタイミングがあるそう。

  • 家族のありがたみ、苦しみを知った時
  • 将来の目標が決まった時
  • 信用できる人に出会えた時
  • 人と話す自信がついた時
  • 勉強がわかった時
  • 大切な役目を任された時
  • 物事に集中できる様になった時
  • 最後まで諦めずにやろうと思った時
  • 集団生活の中で自分の姿に気がついた時

どれもすごく当たり前のことなんだけど、こういう事に気づけていないことがやっぱり驚きだった。

簡単に犯罪を犯す少年=悪い少年

で考えてはいけないなと思った。そうなってしまう背景が少年たちにはあるんだと。

すごく考えさせられた。

 

作者はこのように書いていた

人が変わるには

「自己への気づきがあること

そして様々な体験や教育を受ける中で、自己評価が向上すること」

 

これは大人になっても大事なことじゃないかなと思った。

「人に言われるのではなく自分で気づくこと」

「自分を客観的に判断する力を持ち、自分の価値を見つけること」

 

今からでも遅くない。自分を見つめなおして、楽しい人生を送ろう。

怒涛に忙しかった4月

久々にブログを書く時間がやっとできた。

体調が悪いのにもかかわらず、仕事もプライベートも忙しい日々。

ブログを見る時間も全くなく。こんな1か月は初めてだった。

 

春休みだといって帰ってきた息子は、我が家でノロウイルスになってしまった。

息子の吐しゃ物の掃除をしながら、今回は「お願いうつさないで…年度初めは休みが取れないんだよ」とつぶやいていた。


病み上がりの息子が帰ったら、仕事だけでも忙しいのに、夜はボランティア活動のイベントのために呼び出される日々。

暇よりいいのかもしれないが、大変だった。

 

自分でやると決めたピアノだが、自分の忙しさに拍車をかけていた。

毎週レッスンが行われるのでそのために最低でも30分は練習をしないといけない。

指が動かないので、練習を一切行わず行くと全く弾くことができない。

子どもの頃は練習を一切せずにレッスンに行ったけど、弾けてたのはどうしてなんだろう?と毎日レッスンしながら思ってしまう。

 

自分の頭の中で描いているメロディが全く指に伝わらない。

上手く指が運ばないし、先週弾けていた曲が今週になるとうまく指が運ばなくなることもしばしば。

何度やってもノーミスで弾けることなんて一度もない。

 

先日のレッスンで今日はうまくできてる!少し自信気に弾いていたら

「全然リズムが合ってない。ひどいよ!」

と先生に指摘されてしまった。

指がうまく運べていることに有頂天になっていた私は、テンポ感が悪いと思っていなかったので、大ショックだった。

その日から、テンポ感を強化する課題が追加され、毎日頑張っているがいくらやってもうまくならない。トホホ…

 

卒業式帰りの人をたくさん見かけた1週間だった

気づいたら、下旬に差し掛かった。年度が終わるので何かとバタバタする毎日。今の職場は年度でいったん仕事がリセットされる形になるのでなんとなくそういうところが好きだ。

 

今週は何度か大学の卒業式帰りのはかま姿のお嬢さんたちを何人か見かけた。

よく見た「はかま姿」は大きく3パターンだった

  • 古典的、ベーシック。(はいからさんが通るみたいなの)
  • 上下ビビット色、黒髪(中森明菜のDESIREの衣装の雰囲気)
  • 上下淡い色、茶髪(ふんわり系)

上下淡いのは最初見かけた時は、びっくりした。今の流行りなのかな?

結構人気見たいでたくさんみかけました。

どのパターンも、かわいいけどね。

地域色もあるんかな?関西だけなんだろうか?

個人的には古典パターンがやっぱり好きかなあ。最近「私の幸せな結婚」というアニメを見ているからそう思うのかもしれないが。

 

卒業を迎えた皆様、そのご家族様

おめでとうございます。

新しい次なるステージでも、自分らしく過ごせますように。

 

今シーズン2度目のダウンは、熱の出ないコロナか?

先週の金曜の夜から急にのどが痛くなった。

だが、熱は出ない。

12月にインフルエンザもすでにかかっている。

だからインフルではない・・と思う。

 

ゆっくりのスピードでのどが痛みが悪化してきているが、動けないほどではない。

のどの痛みが増えると、かなりひどい咳が出るようになってきた。

日曜の夜から水曜日までのどの痛みと咳が止まらない。

夜中も何度も起きてしまうぐらいだった。

木曜日になり少しましになった?と思ったらのどの痛みは消え、次は鼻が止まらず。鼻の奥が炎症しているのか、副鼻腔炎の頭痛が始まる。

 

けど、熱が出ない。36度。平熱。

仕事には行けるけど、今週はほぼ声がかすれている状態だった。

 

これって…。本当に風邪?

噂に聞いていた「熱の出ないコロナ症状?」ではないだろうか。

そういえば、土曜日の夜にちょっと寒気は感じたけど、それでも37.2度だった気がする。

ずっと平熱。でもコロナになった時ぐらいひどいのどの痛みと咳と鼻の状態。

とにかく今週は仕事も山場だったので、どうにか仕事に行ったが、本当にしんどかった。

花粉やPM2.5も飛びまくるし、何が原因なのかわからない。

ただ、これがコロナだったら、たぶんたくさんの人にうつしている気がする。

 

来週、再来週末と推し活のため、絶対体調を元に戻さないといけない。

この週末はとにかく、体力回復に努めたい。

 

今日、月曜日から戻ってきていた息子が急に「のどが痛い」と言い出した。

あ…この感染力の強さ。やっぱり熱が出ないコロナちゃう?

超運動音痴の私が思う公教育の疑問

先日、運動音痴はつらいという記事を見た。

私も他人事ではない。小学校のころから人より運動ができなかった記憶しかない。

何やらせても学年最下位5本の指に入る。

私の通っていた小学校は250人ぐらいの245番以下なのだからかなりのレベル。

ボール投げてもダメ、泳ぎもダメ、跳び箱も飛べない。鉄棒もダメ。長距離走に至っては必ず学年最下位。とにかく運動が嫌いだった。

体育はみんなの前で「できない」を披露する時間なので苦痛でしかなかった。

 

体育関係の行事になると必ず遠回しに聞こえてきた

「あいつと同じクラスやから、負け確定」という言葉。

私が一番わかってるし、みんなの迷惑になるから休みたかった。

しかしそれは無理だった。

「できなくても皆勤賞であれば、評価される」が母のポリシーなので絶対に休むことを許さなかった。

我ながらよく陰口に耐えながら学生時代の体育関係の行事を乗り越えてきたなと。

 

運動音痴はつらい記事を読みながら思う。

勉強はみんなの前で全員の点数を公開したりするのは良くないという風潮があるのに、どうして運動だけはみんなの前でできるまでやらされたり、タイムがわかるようにするのは良いんだろう?

 

そういえば、昔見た2月の勝者というドラマで
小学生で勉強できる女の子が、授業中答えたいと思って毎回手を挙げていると
先生から「みんなわからないのだから、手をあげないで」と言われるシーン。
あ…確かに学校ってそうだった。勉強できる子は先生から押さえつけられるよなと。

でも運動だと「あいつをみんな見習えよ!」と言われて押さえつけられることはない。
運動ができる子が怒られるのは、真面目にやらないときだけだった。

 

最近見たACのCMで子どもがスポーツしたい気持ちを抑えて親が受験させており「子どもの気持ちわかってますか?」みたいなのがあった。

「勉強=悪 スポーツ=善」

という感じがなんか腑に落ちない。

やりたくないのにやらせるのはもちろん考えなくちゃいけないが、野球やサッカーじゃなくてEスポーツだったら?ポケモンカードだったら?って思ってしまった。

運動ができない私からしたら、スポーツするぐらいなら勉強するわ。その方がまだ苦痛じゃない。

 

いろいろな子がいるのはあたりまえだし、そういうことを学ぶ場として学校は大切。

けど公教育ならば「できる子ができない子を思いやりましょう」ではなく「全教科習熟度の同じ子どもたちに応じた教育」をし、苦手をなくす取り組みをした方が良いのでは?と思ったり。

いろいろ変わってきているけど、根深い部分の改革はできてない気がする。
運動会で優越をつけるのをやめ、速さの同じ子を一緒に走らせるとかじゃない。
能力の差はある。それは理解した上で、みんなが成長することを第一に考えてほしい。

 

運動音痴の私でも、この歳になると運動ができた方がいいとつくづく思う。運動を避けてきたからこそ、大きなツケがまわってきていると感じる。

外遊びが減っている今、小学生の体育だけは習熟度に応じた指導をして、全員の底上げをした方が健康寿命を延ばすにはいいのではないかと思う。