40代未亡人の迷走日記

日常のあれこれ、未亡人のおばさんが迷走している日記です。

うちの祖母は軽い発達障害だったのでは?と思う話

祖母は5年ほど前に95歳でこの世を去りました。

祖母は幼い頃に”はしか”で右目を失明してしまったらしく、左目しか見えていませんでした。昔は左手で箸を持ったりすると非常に怒られたらしく、すべての作業は右でできるのですが、本人としては左手を使う方が楽だったので、両手で編み物ができる器用な人でした。

戦時中には満州に居たらしく、あの時走って逃げていなければ今頃中国に居たかもしれないと言ったり、まあまあ苦労したエピソードを持つ人でした。

普通であれば、このような苦労をしていた祖母であれば、尊敬すべき人だと思うのですが、子ども心に「おばあちゃんは好きになれない」と思っていました。今思うと、祖母は軽い発達障害だったのでは?と思うのです。

私が持っている祖母の記憶と言えばこんな感じでした。

 

1:異常に記憶力がいい

子どもの頃に勉強したことは、本当によく覚えていました。百人一首はすべて言えますし、世界の国と首都名はほとんど言えました。とにかく「記憶」というものが優れていたなあという印象です。初代天皇から昭和天皇まで言う事もできました。その背景までは語ることができず、ただ「覚えているだけ」なのです。

自分が興味ある事は覚えられるので、若い男性タレントの名前と顔はすべて覚えていました。SMAPは全員言えたのは覚えています。V6もわかっていた様な。野球選手やお相撲さんの名前もスラスラ出てきます。
とにかく自分の好きな事に関しては、ものすごく覚えているのです。

 

2:自分の気持ちを正直に言ってしまう

祖母は、自分が思う事は他人も同じように思っていると思い込んでいて、簡単に何でも口に出してしまいます。近くにいる人ができない事があると「なんでできへんの?こんなの常識なのに」と言ってしまうのです。そこに全く悪気はありません。素直に発言してしまいます。

一番困るのは一緒に出掛けている時に、「あの人ブサイクやと思わへん?」と口にしてしまうのです。人の容姿について口にするのは私は絶対やめて欲しいのですが、本人は「本当の事を言って何が悪いの?」と言うので困っていました。
決定的にこの人が変だと思ったのは、私が生まれてすぐの息子をあやしていた時です。
祖母は「あんたが子どもを一人で育てれるわけがない。産まなかった方が良かったんちゃう?」と言うのです。
本人は悪気はありません。むしろ私を心配しているのです。
しかし、家族として一番発言してはいけない言葉だというのを全く気付いていません。

 

3:人付き合いができない

自分の気持ちを正直に伝えてしまうので、どうも人が避けていってしまうようです。
仲の良かった兄弟とも、最終的には「失礼なことを言われた!」と憤慨されて疎遠になってしまいました。
当たり障りのない人と話するぐらいであれば問題ないのですが、深い人間関係の付き合いは一切できませんでした。老人会といったコミュニティにも一切入らず、一人で好きに過ごす方が自分としても心地よかったみたいです。

 

4:臨機応変にスケジュールを変更できない

祖母は、自分の決めたペースのスケジュール通りに過ごさないといけない人でした。
午前中は必ず病院に行く、18時には夕飯を食べる、この2つに関しては絶対に譲れませんでした。雨が降ろうが、他の家族の状況などお構いなしです。18時の夕飯は一緒に食べることを強要するので、祖母に合わさなければならないのが大きくなるにつれて大変だった記憶があります。

 

今となれば、祖母は発達障害だったかも?と思うので、温かく受け止めることができますが、「わがまま」「失礼な事を言う」と思う気持ちが強すぎて、私は祖母があまり好きではありませんでした。

 

今なら祖母の様な「ちょっと変わった人」に関する情報が増えてきました。祖母ももう少し遅い時代に生まれてきたら、私も優しく接する事ができただろうし、もう少し人に理解されて生きやすい人生を過ごすことができたのかもしれません。

 

今回伝えたいこと

お互いの個性を優しく認められる社会になればいいなあ。