40代未亡人の迷走日記

日常のあれこれ、未亡人のおばさんが迷走している日記です。

人との関わりを楽しむために必要な割り切りとは?自分の思いと相手の意思を尊重する

最近、色々人と関わる事が増えたので「○○すべき」に悩む事があります。

 

暗黙のルールに従うべきなのか?

日々、日常生活を送ってると「○○すべき」という暗黙のルールに悩まされる事があります。

軽く流せるときはいいけど、何としてもルールに従わせようとする雰囲気が強い場合はしんどいなと思っています。

 

例えば、お酒の席で酒を注ぐ事

私は酒が飲めないので、ビールを美味しいと思える泡の量とか全くわかりません。

注ぐ相手が別に悪気はないけれど

「ああ、泡多すぎ」

「泡に少なすぎ」

最近はなくなりましたが

「自分ビール入れるの下手やなー!」 など

言われちゃうとすごく凹みます。そして思います。

”なんで近くにいる人が注ぐ文化あるねん!酒飲み同士で注げばええやん!”と。

 

でも、世間では注がれる事が嬉しい人も多いらしい…私には全く理解できへんのですけどね。

 

私は○○べきを他人に押し付けてないか?

自分が嫌だなと思う様に、私も絶対人に○○べきを無意識に押し付けているのではと気になってしまう事があります。

 

極力、べきを取っ払う思考を心がけてはいるけれども、そうやって思考を巡らしすぎると人との会話のテンポに遅れてしまうことがしばしば。

人との会話は生ものだけに、テンポは重要です。特に関西はテンポが命。それは、それでどうやねん?と思っています。

 

かと言って、○○べき思考を押し付けてはいけないと、気にし過ぎてもダメだと思う。

難しい…

 

最終的には受け手が決めると考える

私がいくら悩んだりしても、

結局「受け手がどう思い、どう判断するか」

の割り切りが私にも必要だなと思う様にしました。

酒の注ぎ方に色々言われるのが嫌なら、そういう場は適度に欠席するとか、他人にべき思考を言ったとしても、最後にどう判断するかは私ではないなと。

たとえ自分と考えが違っても、相手の意思を尊重する思考を持っていこうと。

 

人と関わって生きていくには、ある程度の割り切りが必要ですね

 

今回伝えたい事

人を気にせず自分で決めたら良い

 

AIにタイトルお願いしたら、すごいタイトルになってもうた。
面白いからそのままにしておこっと。