40代未亡人の迷走日記

日常のあれこれ、未亡人のおばさんが迷走している日記です。

苦手だけと挑戦したいことを諦めてしまう原因は、単に経験の数だった

この歳になると、苦手だと思う事に向き合うのは本当にツラい。けれども、この年齢になると

「いやー。今更この歳だと無理だよね(笑)」

なんていいながら、本当は向き合わねばならないくせに

「年齢のせいにして逃げちゃう」という自分を正当化することもしばしば。

 

ただ、苦手だと思う事の中に挑戦したい事や苦手を克服したい事もある。

これが私の心の中でいつもくすぶっていると思う。


挑戦したいならやってみれば?

克服したいならやってみれば?


誰もが簡単に私にそういう。私だって他人にならそう言う。

私はどうしてその一歩が踏み出せないのか?

 

成功しないから?
恥ずかしいから?
かっこ悪いから?
痛い思いをするから?
ケガするのが嫌だから?

 

結局、自分が傷つくのが嫌なんだろう。
挑戦したい、克服したいって言っているくせに。矛盾を感じる。

 

最初からなぜ成功すると思っているんだろうか?
恥ずかしいって思っているのは私だけじゃないだろうか?
かっこ悪いって思っているのは私だけじゃないだろうか?
痛い思いをするのは当たり前じゃないだろうか?
けがをするのが嫌なら、した時の事を考えたらいいのでは?

 

私はどうも「失敗」することが嫌らしい。
成功は多くの失敗から掴み取る事ができることがわかってない。
無難にただ、中間地点におさまって心を満足させようとしている。

 

子どもの頃は絵が上手くなりたいと思っていた。来る日も来る日も漫画を真似して友達と一緒に絵を描いていた。でも、全く上手にならない。かなり壊滅的な状況。一方友達はメキメキと上手くなっていく。
決定的にセンスがないんだろうなと思って描かなくなってしまった。

でも、この歳になるとあんなに私が心から上手くなりたいと思って努力したことなかったなと。
決定的にセンスがなくても、ただ上手くなりたいと。とにかく模写する日々。

 


先日、イラストレーターをしている20来のママ友と初めて食事に行った時

「絵が上手くなりたいと思うけど、壊滅的な画力なの」と話をした。

彼女の回答は

「絵が上手いって何?」

うーん。この返答には悩んだ。「猫と見える様に描く事かしら」

と答えた。

 

「猫と見える様に描けるようになりたいなら、とにかく描くしかない。経験の数が足らないのに、上手くなることはない」

 

打率をあげたければ、イメージするのではなくとにかく打席に立つ必要がある理論と同じだ。

何事も、経験という努力の上に上手くなるのがあるんだなと。

 

年齢に関係なく諦めずに経験を積んで行けば「ある程度の形になる」ってこと
好きなら、他人がどう言おうがやってみればいいのだ。
子どもの頃は、他人の目線や意見が入らないから無心に頑張れるのかもしれない。
無心でやっているから、いつのまにか自分はセンスがあると錯覚していくのかもしれない。

やってみたいこと挑戦していけばいいんだ。

 

今回伝えたい事

絵が上手くなるアプリとかないかしら・・?