6月は夫の命日でもある月
あれから21年経過したのかと思う。
長かった様な、早かった様な。
今幸せだからこそ、そう感じられるのだと思うのだけど。
他人からみたら薄情にみえるけど、私は命日だからと一切何もしない。
墓と仏壇は中国地方にある夫の実家にすべて任しているのにも関わらず、お墓参りとかお供物すら送らない。
子どもが小さかった事もあり、子どもの前では夫の亡くなった日の事を語りたくなかった事が1番の理由。
私は子どもの前だけは、明るく笑っていたかったのだ。
私はあんなツラい気持ちを命日という事で思い出したくない。
落ち着いてる今ですら、夫の亡くなった日の事を涙なしに語れるほどに気持ちは整理できていない。
命日に何もしないことは
決して忘れているのではなく、
いつもと変わらない普通の日々を
大切にしたい
申し訳ないけど、大事なのは自分と子どもなのだ。
そんな私は部外者にとって薄情者に見えているんだろうなと思うけど。
形式的な供物や墓参りより、私達親子が今幸せにしてる事が、亡き夫にとっては一番の供養ではないだろうか。
なんとなく。後ろめたい気持ちもあるけれど
6月はいつもの平凡な日々を大切にしたくなる。
今回伝えたいこと
忘れたわけじゃないけど、思い出したくない