40代未亡人の迷走日記

日常のあれこれ、未亡人のおばさんが迷走している日記です。

毎日ブログ更新、2か月経過

必死にやってきたブログも、どうにか2か月経過しました。
こんなつたない文章でも、読んでくれる方がいるから続けられています。

訪れていただいた皆様、改めて感謝申し上げます。

 

2か月すぎたアクセス数の現状

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アクセス数が多いのか少ないのか、そのあたり気にすると絶対に続けられなくなるので気にしない様には心掛けています。ですが、少しでもアクセスがある事が続けていくモチベーションにプラスになることは間違いないです。

 

一日過ごしていても、ネタがまとまらなく、夜寝る前に必死に作り、朝最後の仕上げをしたりすることも。いつか文章を書くことに慣れる日がくるのでしょうか?

いつもは、文章が脱線していないか何度も読み返して悩みながら書くのですが、今日は一切気にせずに、つらつら書いてみようと思いました。

 

毎日続けていて思う事

ブログを毎日続ける事は

「与えられたことを淡々と行うより、自分で何かを生み出す難しさ」

を強く感じています。

そして「自分で何かを生み出すのは、大変だけど面白い」です。

 

人のブログを読んで思う事

最近はやっといろんな人のブログを読む余裕が生まれてきました。

HowToブログはもちろん役には立ちますが、雑記、日記は人の本質が少し見れて面白いと思う事が多いです。

そういう考え方もあるんだ、こんな素敵な場所があるんだと、楽しませてもらっています。話にオチがある人は、本当に尊敬しますね。お笑い好き心をくすぐってくれます。

好きに対する追求がすごくて、私には理解できないレベルのブログに出会う事があります。正直内容は一切理解していません(笑)が、深掘りしていく力に圧倒され、尊敬しています。私には追求する力が本当にないので羨ましいです。

私は広く浅く知識得たい型

私にはどちらかといえば「広く浅く知識得たい型」タイプなので、深堀して行きたいと思うのですが、途中で「満足しちゃう」んです。
気になったら、すぐ調べます。そして知ったら、もういいやって。

悪く言うと「上辺だけの知識はたくさんある」状態です。

 

広く浅く知識得たい型の利点を生かす

広く浅く知識を得ている事の利点は

「実生活で、幅広く人の話を聞いた時に、全く理解できないことが少ないこと」

と思っています。つまり

「色んな事の導入部分は知っているので、人と話を合わせて、共感できること」

です。

私は年代性別問わず色んな人の話を聞くのが好きです。だから、ある程度の人と会話の糸口になる事柄を見つけたら、話を広げる様に持って行くことができます。

話しかけたい人は無口な方が多い

よく喋る人より「無口な人」と話すことが一番好きです。
話しかけてもらったら、それも嬉しいですが、どちらかといえば無口な人に話しかける方が楽しいです。

よく、あまり仲良くない人と二人っきりになって気まずい…という人が多いですが、私にとっては「チャンスタイム」です。

案外話しかけたら色々話してくれる人、もちろん人見知りが強く全く話が続かない人もいます。でも人となりを知るのが楽しいです。


自分を知ってもらいたい願望

この考えの根底には「人の噂で聞くより、本当のその人を知りたい」からかもしれません。

子どもの頃に見た目が太っている事だけで話をしてくれない人も多く

「なぜ私と話した事もなく、何も迷惑をかけていないのに陰口を言われなくてはならないんだろう」と悩んでいました。

そういう「人の噂だけで人の中身を判断したくない、されたくない」という思いがどこかあり

「他人を知り、自分を知ってもらう」を無意識に行っているんだと気づきました。

 

最後に:改めてお礼

長くなりましたが、これからも

「他人を知り、自分を知ってもらう」ためにブログを続ける…と結ぼうと思いましたが、ちょっと違う気がしました。

「人を知り、自分を知ってもらう、そして自分が気づいていない自分を知るため」

にブログを続けていけたらと思います。

それにしても、ひどい文章です。それも私なので良しとします。

忙しいパパママにオススメ、寝る前に絵本の読み聞かせ

私も仕事をしながらもひとり親で子育てをしてきました。毎日、仕事と子育ての両立は大変です。便利なアイテムが増えた今でも、そんな劇的に楽になったとは世の中を見ていると感じられません。
私が一番大変だったかと思いだすと、早く寝てくれないことでした。
とにかく早く寝てもらって、自分も一息つきたいのに、なんで早く寝てくれないんだろうか。世間は「子どもは早く寝てる」と言ってるのにうちの子はなぜ?悩み、子どもの寝つきの悪さにイライラしていた時期がありました。

寝る前に絵本を読み聞かせする事を習慣化する事で、だんだん早く寝てくれるようになりました。毎日早く寝て欲しいとお悩みのパパママさん、ぜひやってみてください。

絵本を寝るに2冊読み、消灯する

こういう本が良いのオススメはありません。私は子どもの好きな本で良いです。面倒ならば毎日同じでも構いません。経験上、図鑑は読みにくいので避けた方が良いと思いますが、子どもが喜ぶなら良いと思います。ただし、ページ数は限定してください。図鑑は予想以上のボリュームで疲れます。

まずは毎日寝る前に必ず2冊絵本を読んで、消灯、そして寝るを続けてください。

子どもが寝る様にするより、自分の行動を変える方が簡単

子どもからしたら、保育園から帰ってきてやっと甘えられるんです。嬉しくって仕方ありません。でも親にとっては、疲れて帰ってきて、全力で家事と育児をこなさなければなりません。 正直時間が足りません。最低限の家事と育児をするだけで精一杯です。少しでも早く寝てくれさえすれば、家事できるのに、でも子どもは甘えたくて仕方がない、その両者の譲れないやり取りが私もイライラに繋がっていました。

残念ですが、子どもは空気を読んで寝てくれるわけがないので、諦めましょう。
一方、自分の行動は自分で決めることができるし、自分で変えることができます。
子どもの行動を変える様にあれこれ悩む時間があれば、自分の行動を変える方が楽だと思いませんか?

一緒に寝ると割り切る

なかなか寝てくれない事を諦めて、自分もとっとと寝てしまう支度をして、一緒に寝てしまおうと割り切ってしまいましょう。親が横に居てくれると、子どもは安心して寝ます。残った家事は明日の朝起きてやりましょう。
少し汚れてても、他人に迷惑をかけていないから大丈夫、明日の準備だけしてとりあえず寝よう!そう割り切って私は9時半には寝ていました。

寝る時に絵本読み聞かせは甘える時間

寝る前に『子どもが甘える時間』を作ると割り切りました。親はここで我慢が必要です。スマホをそばに置いてはいけません。全力で子どもと向き合う時間にします。しんどいと思いますが、この「甘える時間」は永遠に続きません。子どもの成長にもう少し寄り添えばよかったと後悔しないために、甘えてくれる今を大切にした方が良いと思います。ただ、甘える時間をだらだら続けるとこちらも疲労がたまります。絵本を2冊読んだら、いくら続きをせがまれても消灯します。

 

毎日2冊絵本を読む事を続け習慣化する

寝る前に絵本を2冊読む事を続けていくと、そのうち絵本を読む=寝る準備というリズムができて、我が家はすんなり寝てくれる様になっていきました。
最初は親も一緒に寝ないと、寝てくれないのですが、そのうちすんなり絵本読みが終わり、親がうとうとする前に寝てくれる様になりました。

 

 

先日、本屋の絵本紹介の陳列によく読ませていた絵本が置いてありました。息子が「これめっちゃ好きやったわ。よく読んだよなー」と言っていました。寝る前の読み聞かせが少しでも記憶に残っているのが嬉しくなりました。

今回伝えたい事

寝る前の絵本を習慣化する事で、寝るリズムがつく

子どもを変えるより自分を変える方が早い。

 

不思議な小中学校の教育方針

私は学校の先生を全く尊敬できませんでした。学校の先生で頑張っている方ごめんなさい)

それは先生が全く生徒の個性に向き合っていないように見えたからです。

 

私の通っていた小・中学校は当時、教育が特殊だったと今考えても思います。
「みんな同じである事が社会が良くなる」
「障がいを持つ人も、特別学級ではなく、普通学級で学びましょう」

先生が言う事は間違っていないとは思っているのですが、当時の私は素直に受け止められることができませんでした。


私はすごく太っていて、みんなと私は全然違うのに、みんなと同じことを要求されるのがしんどかったのです。障がいを持つ人には、助けをするのは正しいのですが、健常の私もは太っているだけで色々苦しい部分があるのに、それは「努力が足らない」という認識で助けを求めることが許されませんでした。私から見たら先生は障がいを持つ子を中心に考え、他はどうでも良い様に見え、私には不思議に感じていました。


男女仲良くしましょうといって、6年生になった男女を必ず手をつないで歩かせる事もありました。これは思春期に差し掛かった子どもには地獄です。可愛い・かっこいいと評価されている子たちと手をつなげるのは嬉しいと思われますが、逆側の立場に居た人間としては、手をつなぐ男子から「俺何でこいつやねん。最悪や」と悪びれもなく口に出されます。立場が弱いのは、障がいを持っている子だけじゃない、ずっとそう思っていました。

 

特殊な教育から逃れるために、小学校では中学受験をする人もいました。担任は中学受験をすることを言ったら「〇〇さんは他の中学に行きます。みんなと同じところに行かない理由をみんなの前で言いなさい」と強制的に言わされていました。
中学受験する子が話す表面的な理由よりも、なぜ公開処刑のような事を先生がするのか気になりました。私の目には先生が「生徒をイジメている」ようにしか見えなかったからです。

 

中学校になると、今まで素直だった子たちも従わなくなるので、先生が生徒に対して内申点をチラつかせ、従わせる印象が強くなっていきました。

中学では高校受験があります。普通は人生最初の進路選択として、色々担任と進路相談しながら自分の希望の進路を歩んでいくはずだと思いますが、私の通っていた中学校は「みんなと同じ高校に進学することが正しい」
それは「みんな同じ高校行くのが、社会が良くなるから」という理由です。

担任からは、一番近いA高校にみんな進みましょうという暗黙の了解で進路相談が行われます。

A高校の定員は540名。その一番近いA高校は近隣3つの中学が推奨高校として指定されています。私の中学だけで400名ぐらい生徒がいるのに、3校の生徒が受験したら成績下位者が確実に落ちます。

あまりにも先生の進路に対する考えが腑に落ちなかったので、私は面談で言いました。

「先生、私がA高校を受験したら、A高校に進みたいと思っている成績ギリギリの子が落ちてしまいます。私は別にA高校を希望していませんし、B高校を受験します」と

先生は激怒してここ言い放ちました。

「あなたはみんなを見捨てるんですか?」と

私には、見捨てるの意味がわかりません。私は逆にA高校を希望している人に1枠譲って救ったぐらいに思っています。そして自分の人生の選択を先生に否定されるのか理解できませんでした。

結局自分の進むB高校を受験することとなり、

その時に先生に最後の進路相談で言われたことは

「他の人をB高校に受験すると言ったり、誘ったりしない様に」

「頑張れ」という応援してくれる一言が欲しかったのに、本当に残念でした。

この年になると、先生側も上からの方針に従う事に悩み、思うところはあったというのがわかります。この不思議な教育方針に疑問をもって辞めた方もたくさんいただろうと思います。でも、もう少し心に寄り添ってくれる先生が居たら、私の人生も、他の同級生の人生も少し変わっていたかもしれないなと、ふと思い出しました。

 

 

今回伝えたいこと

過去があるから、今がある。

他人の頑張りを応援できる人でありたい。

結婚生活において、お金の苦労は受け入れられない人は多い

まだ私が何も世間を知らない女子大生の頃の話です。

 

大学の先生と割と距離が近く、昼休みに食堂で先生と一緒に食べる事はよくありました。先生は当日40代ぐらいだったのでしょうか?既婚で子どもは居なかった記憶はあります。先生がしてくれた話で妙に覚えている雑談があります。

 

あなた達もいつか結婚するかと思うけど、結婚生活が長くなるにつれ、どんな人でも相手対してにはこの1つのうちどれかは受け入れないといけなくなると思うのよ。

  • 頭が薄くなること
  • 太ってしまうこと
  • お金に苦労すること

場合によっては3つとも受け入れないといけなくなるけどね(笑)
と先生は微笑みながら言っていました。

何も人生経験のない、よく言えばまだ夢がたくさんある若い私たちは、色々口々に自分の意見を述べていましたが、みんな絶対に受け入れられない答えは同じでした。

「お金に苦労すること」これはやっぱり無理ですよ!先生って。


その当時の私たちの意見はこんな感じでした、
髪が薄くなるのは、体質的な問題で、本人に原因がない。
太ってしまうことは、痩せる事も可能。
でも、お金に苦労することは、どう考えても夫婦喧嘩の原因になりそう
だから受け入れられないかなと。

 

さてさて。私の周囲の結婚した人達はも結婚し10年~20年経過してきています。
先生と同じ年齢になった現在、どんな状態かと言いますと

 

旦那さんが太ったのを受け入れている人が1番多く、
旦那さんが髪薄くなったのを受け入れている人も数人。
お金に苦労してる事を受け入れている人は居ません。見事に全員離婚しています。

 

やっぱりお金に苦労する事を受け入れられない人が圧倒的に多いと言うことだと思います。若い私たちは喧嘩の原因と思っていましたが、そんな甘いレベルではなく、離婚の原因になっていました。

 

やはり見た目は歳を重ねていくと老化は避けられませんし、お互い様なので責められない人がほとんどです。夫は変わらないけど、私が太っちゃったっていう人もいます。

でもお金の苦労は、お互い様の問題ではありません。共同経営者として方針が違うという問題なので、受け入れられないのだと思います。


お金を切りつめても、浪費家の夫(妻)に困っている
お金を使わせてくれない、節約家の夫(妻)に困っている
家計相談内容のコラムを読んでいると、この手の話もとても多いです。

 

でも結婚前ってお金の価値観について相手と話をすること本当に少ないです。私もそうでした。日本人は何となくお金の話がタブーな風潮があります。
私の母なんて、父や私たち子どもにですら、未だにお金のことは一切言いません。せめてどこに口座を持っているぐらいは言っておいて欲しいです。

やはりお金の価値観が似た人と結婚しないと、離婚してしまう可能性が高くなるということなのでしょうか。でも自分と逆の価値観を持つ人と結婚した方が、長所と短所を補え上手くいくのではないかと個人的には思います。


ある一定を超えてしまうと「補う」が「被害を感じる」レベルになってしまうのか。

最後に話は脱線しますが、私の周りの離婚原因で「浮気」は1件もなく、見事に「お金が原因」で離婚しています。やっぱり金の切れ目は縁の切れ目なんでしょうか…。

 

今回伝えたいこと

結婚前に可能な範囲で、お金の価値観について話し合っておく方が良いかも。

 

履歴書の特技に書きにくい特技

履歴書に特技の欄がありますが、いつもこの欄に何を書こうか悩みます。

私は明確に特技だと人に言える事がありません。けれども空欄にしてしまうのは印象が良くないと言われるので本当に困ります。

 

特技の欄に書くには、明らかに人と比べやすい「柔道2段」「書道3段」といった段位が

あるものなら、人よりできる事が明確なので他人からも判断しやすいと思います。

また段位がなくても、例えばサッカーを特技と言うにはレベルが色々あり、基準が難しい所があると思います。でも努力した過程さえあれば、レベルは関係なく具体例をあげて説明できるので特技として書けると思います。

 

ものまね、手品、暗算など、これらも努力を重ねて出来る様になった特技だと想像できるので履歴書に書ける特技だと思います。

 

でも、私はそういう努力系の特技は全くありません。どちらかと言えば、何の苦労も努力もせずに人よりできてしまう、明確にならない特技しか持っていません。だから履歴書に書きにくいのです。

 

私が特技と思っていることは

  • 一度通った道なら迷わずにもう一度行く事ができる
  • 地図を渡してもらえれば初めての所でも迷わず行く事ができる

つまり方向音痴の逆で、「方向感覚に優れている」事です。

 

ドライバーの履歴書の場合なら書く事でかなり価値があるとは思いますが、事務職ではほぼ必要とされない価値低めの特技です。

自分の中では胸を張って特技と言えるのではないかと思っています。道に迷うという事がないので、外出して慌てる事がありません。新しい場所に行くのも全く苦になりません。車の助手席に乗ると、カーナビより役に立つこともあります。人に道に聞かれたら結構細かく案内できるので、役に立つ場合もあります。

でも、履歴書に書ける特技ではありません。努力エピソードもないので、具体的な話を言った所で相手に何も響きません。でもこれだけが特技と自信をもって言えると思っています。

 

特技とは、特別な技なんだから

「自分がこれは人よりできると思えば、良いと思う」のですが、努力で出来る様になった技でないと、なかなか他人が共感や想像しずらいのかと思うから仕方ないですね。

 

正直私も方向感覚に優れているのが特技だと、認識できるようになったのは、ほんの数年前になります。私が当たり前にできるので、みんな誰でもできると思ってました。そんな事ないんだと気づいた時は逆に驚きました。

誰でもそんなところが1つは持っていると思うんですよね。例えば

  • 人の懐に入るのが上手い
  • 初対面の人と楽しく話ができる
  • 自分を良く見せるのが上手い

全部特技の欄に書きづらい特技ですが、すごい特技で羨ましいなぁと思う場面は良くあります。

 

 

私は人と一緒に出かけてて、人の先導で歩いている道を間違えている時は、「道間違ってますよ」と言うのは、時間に余裕がある限り相手が気づくまで絶対に黙ってます。
なんとなく、道案内しなきゃと頑張っている姿に水を差すのが申し訳ないし、自分一人だと間違えないので、実は楽しかったりします。こんなところで間違うのか…不思議だと観察しています。この場を借りて謝りますが、今後も黙っておくので楽しませてください。

 

今回伝えたい事

努力した話ができる事は特技として履歴書に書ける

誰もが努力せずにできる特技を持っているが、それは履歴書には残念ながら書けない

【人生で一番高い買い物】2LDKのマイホーム

今週のお題「人生で一番高い買い物」

 

ありきたりですが、私の人生で一番高い買い物と言えば

2LDKのマイホーム」です。

ローン、つまり借金までして購入したものは、人生のだけで唯一マイホームだけです。

 

私は子どもの時から自分の部屋を与えられてないので、自分の家を買うという憧れがありブロックで自分の理想の家を作ったり、チラシの間取りをみて妄想するのが大好きな子どもでした。いまだに不動産を買う予定もないのにチラシの間取りを見たり、借りる気もないのに物件案内のYouTubeなどを見ることがとても好きです。

 

夫が亡くなった後、実家には子どもと二人で居候させてもらいましたが、私の部屋すら与えられなかったのに、私達親子だけの部屋を与えられる余裕は実家にはありません。

実家にいる方が親が色々やってくれるから楽な部分もありますが、母親も祖母も必ず在宅してるだけに、誰にも邪魔されず親子二人で過ごす空間も欲しかったのです。

賃貸でどこか借りるというのは父が猛反対したため、夫の残してくれたお金を頭金にし、タイミング良く通っている保育園の近くにある小さなマンションを買うことになりました。2LDK、約60㎡です。

 

マイホームを購入してから15年近く経ちました。最初はこれでも十分と思っていた部屋が、今では色々狭く感じます。子どもが成長し猫が家族になり、家族の変化に応じて物が増えてきてしまいました。
これ以上広くてもコミュニケーションが取りにくいし掃除の手間が行き届かない、これ以上狭くても暮らしにくいと思うので、ちょうどよい大きさで大満足しています。


私は自分がとても気に入って買った家なので、家に居る事がとても好きなのです。わざわざお出かけしなくても、家に居ても楽しいです。
キレイなカフェで楽しいケーキを紅茶を飲みながら「非日常」の中で過ごすのも楽しいですが、自宅で慣れ親しんだお菓子といつものお茶を飲みながら、「日常」の中で過ごすのも、何も着飾る必要がなく最高のリラックスできる時間です。

 

そんなマイホームもそろそろ色んな所にガタが出始めました。
網戸がボロボロ、カーテンも汚れている、ダイニングテーブルの椅子がボロボロ、風呂の浴槽の汚れが取れない、シャワーヘッドの調子が悪い、台所の換気扇がうるさい…
フローリングが傷だらけ、台所のクロスが油で汚れが取れない…まだまだ気になる箇所が沢山あります。

まだ手を出さなくても使えそうと思って放置しているのですが、まとめてメンテナンスするか、徐々にメンテナンスするか、もう少ししたら判断を迫られる状況になるかと思っています。

 

高い買い物なのに、メンテナンス費用が高いのも「マイホーム」のツラいところです。
でも自分好みにメンテナンスできるのが「マイホーム」の良い所です。
我が家のライフステージも「第2章」に突入したので、これからちょっとずつ物を減らし、今度は少し猫が喜ぶ家にもしてあげたいと思っていて、キャットウォークとか作ってあげたいのですが、構造上壁に穴を全くあけられないので、どうしたら良いのかな?と悩みつつ、理想を膨らませる事も楽しんでいます。

 

今回の伝えたいこと

人生で一番高い買い物だけど、家に居る時が一番リラックスできる!

【何して遊んだ?】森の探検ごっこ

今週のお題「何して遊んだ?」

 

私には1つ下の幼馴染がいます。私早生まれなので学年は違いますが、彼女は運動神経がよく、走ると早いし、自転車にはすぐ乗れるし、私の方が年下みたいでした。

彼女と私は喧嘩もせずに、いつも二人で遊んでいました。親はほったらかしにしても良かったから楽だったといつも言います。

 

私の実家の町内には公園がないので、彼女といつも近所の畑や森で遊んでいました。

つくしをとったり、四葉のクローバーを探そうと頑張ったり、レンゲの花飾りを作ったり、虫やカエルを捕まえたり、公園がなくても遊ぶ所に困りませんでした。

私達は幼稚園児なので、畑には持ち主さんがいるなんて知りません。自分達のお庭みたいな感覚で畑に勝手に入り、好きに遊んでいたと思います。今考えたら絶対にやってはいけない事です…。

 

幼馴染と遊んだ中で1番鮮明に覚えている遊びは

森の探検ごっこ

です。

 

近くの畑から簡単に森の中に入っていけることができ、森の中を歩いて池まで行って戻ってくるという、子どもにとって「ちょっとした探検気分を味わえる遊び」です。

幼馴染の母親に森に行ってくると言って、私たちは時々森の探検に出かけていきました。

私達は探検と言ってましたが、目的は全くありません。森の中に入り二人で歩くだけです。いつも幼馴染がリードして森の中を歩きます。雨の後はぐちゃぐちゃの葉っぱの上を歩き、夏なら蝉のぬけがらを集める、秋なら枯れ葉を蹴って歩き、綺麗な紅葉を拾ったり、遊びの宝庫でとても楽しかったのです。

森の中には大きな池があり、親からそれ以上先には行ってはいけないと言われていたので、私たちは池に着いたら、ちゃんと折り返して来た道を歩いて戻りました。

今振り返ると幼稚園児が2人だけで人がいない森の中をウロウロするなんで、かなり危険な行動です…

 

時々、池より森の奥に行く事がありました。

裏のおじさんが犬の散歩を一緒に行く時に、私たちが畑で遊んでいると『一緒に行くか?』と声をかけてくれるのです。親からもおじさんと一緒ならば池より奥に行っても良いと許しが出ていたので、おじさんに誘われると私達は「もっと探検できる!」と思い、わくわくして一緒に森の中に入りました。

おじさんとの探検は、いつも色々なコースを歩きました。森の上まで行った時は、すごくしんどかったけど、森の向こう側の景色が見えた感動は今も覚えています。

 

あれから40年以上経ち、幼馴染と探検した森、遊んだ畑はすべて住宅となってしまいました。そんな中でも森の池だけきちんと整備され、ため池として残っています。

15年ほど前に、久々に森の入口があった付近に行ってみました。全く変わってしまった景色に切なくなりましたが、ため池を見つけた時に、これが私たちの池に違いないと思いすごく嬉しくなりました。

子どもの頃、森の入口から池まで歩くのはすごく遠いと思っていたので、今の景色では池までの距離が短く、驚いてしまいました。

 

当時の私達にとっては『森の探検』だったのですが、実際の距離の短さを見ると

『森の探検ごっこ』

と呼ぶ方が正しい様な気がします。

 

今回伝えたいこと

景色は変わっても、楽しい記憶は変わることがない。