40代未亡人の迷走日記

日常のあれこれ、未亡人のおばさんが迷走している日記です。

当たり前のお正月は、最後かもしれない

今年は少し寂しいお正月を迎えたのです。
それは、今まで通りの楽しい正月を迎えることは今年で最後になるかもしれないからです。

 

毎年夫の実家に帰省する私たち親子。
昨年、義父も脳梗塞に倒れ、施設に入院することになりました。施設入院後、認知症が進み家族のこともわからなくなったと聞いています。今は施設の面会ができないので、私たちも会う事はできませんでした。

残された母は一人暮らしをしています。近くに義姉がすんでいるので頻繁に見に行ってくれているのですが、姉から私たちが行く前の日に電話があり

「母さんはご飯もあまり上手に作れないから、覚悟しておいてほしい」

 

この一言はかなり衝撃でした。義母はとても料理が上手だったのです。
義母は義父が施設に入って一人になったことで、すべての気力がなくなってしまったようです。義母も認知症の症状が出てきた可能性が高いかもしれないと姉からは聞いていたのですが、そこまでひどいとは思っていなかったのです。前日に簡単な食べ物を急いで調達し、帰省することにしました。

行きの電車で息子に

「もうおばあちゃん宅で過ごす正月はこれで最後になるかもしれない…」

と伝えました。

息子も

「そっか…わかった。」

 

祖父母宅に着くと、義母は思ったより普通でした。

なんだ!姉驚かせないでよ!と思っていたのですが、台所に行くとガスコンロも壊れて1つしか使えない。そして風呂も壊れている(これは聞いていました)
寒いのにこたつも出していない状況。
日常生活の質が非常に低下をしている状況で暮らしていました。

前々から家は物にあふれていたので、更に溜め込んでいると思っていました。それが今は車に乗れない事で家に物が入ってくる事ができなくなったので、以前より物が減っていました。

そこは助かりましたが…

 

新年を迎えるために、こたつを出し、毎日使っている義母の茶碗と湯飲み、トイレと洗面所だけ綺麗にしました。

 

姉から聞かされていた話ほど、喋っている義母は今までと特に変わりないと思っていたのですが、あの料理上手な義母が、本当に料理を全くできなくなっていたのです。義母にとって簡単な雑煮が、すごいことに…。私も息子もショックでした。その時にこの家で過ごす最後のお正月かもしれないと強く感じました。

 

毎年義母と息子と3人で裏にある神社へ初詣に行くのですが、義母はしんどいから行かないと言ったのですが、息子が「おばあちゃん行こう!行こう!」といったら、重い腰を上げて行ってくれることになりました。
足取りも去年と比べてかなり遅くなり、驚くほどの筋力低下も感じました
ああ、毎年楽しく初詣に行くのも、もうこれで最後かもしれないと思うと正月早々寂しい気持ちになりつつ。

 

恒例のおみくじを引くと

息子:末吉
私:中吉
義母:大吉

義母が一番良い結果でした。何となく嬉しかったです。

恋愛運がイマイチな息子は落ち込んでましたが。

 

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大阪へ帰宅後、姉と話をしたら、どうやら私たちが来たときは、しっかりしていたのですが、私たちが帰った後は、また無気力の義母に戻ってしまったそうです。

今年は、日帰りでも良いから、マメに帰ろうと決めました。
特に嫁の私をきちんと認識してくれる時間は、残り少ないかもしれない。
今まで本当に良くしてくれた義父母に対して、残り少ない時間で何ができるんだろうか、一人で色々抱える義姉のお役にも立ちたいし。

今までの感謝を返すためにも、残された時間を大切にする選択をしていきたいです。

 

 

今回伝えたいこと

当たり前の日常は、突然最後を迎える

いつまでも、あると思うな親と金