40代未亡人の迷走日記

日常のあれこれ、未亡人のおばさんが迷走している日記です。

親友の存在

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私は深く狭くの人間関係を好むタイプなのて、そもそも友人が多い方ではありませんが、それなりの人生経験を経ているので、プライベートでお付き合いしてくれる方がいることはとても感謝しています。
そもそも友達ってどういう区分けなんだろう?と自分の中で考えみたら

  • 親友=学生時代に出会う
  • 友人=学生時代に出会う
  • 仲間=社会に出てから出会う

こういう感じです。

自分の中で気をつかわないのは
親友>友達>仲間
という感じで、仲間になればなるほど、発言とか距離感を慎重に考えます。

人数は
親友<友達<仲間
となり、仲間は多いかと思います。
ママ友もいますが、これが一番微妙ですね。今も連絡を取っているママ友が数人いるのですが、この人たちは友達に近い仲間かも。

 

私は自分の中で親友と思う人が2名います。小学3年の時友達になったKさんと、大学で友達になったTさんです。なぜ親友かと思った決定的な出来事がありました。それは夫の葬儀の時でした。

夫が亡くなりバタバタと葬儀が行われてたくさんの人が心配して参列してくれました。基本気丈に振る舞っていたので、沢山の人の温かい声掛けに気を張って対応していました。この親友二人が来てくれた時、気を張っていた気持ちが切れて泣いたのを覚えています。ある意味この人には心配させてはいけないという気持ちがなく、どこか安心したのだと。だからあの2人は自分にとって親友だなと思っています。

 

そんな親友Kさんと先日10年ぶりに会う事になりました。Kさんは同じ近畿圏ではあるが少し離れた所に引っ越してしまい、なかなか会うことができません。Kさんと私の子どもの年齢が近く、小さい頃は交流がありましたが、やはり子どもの年齢が上がるとお互いに忙しくLINEの連絡を取るのですら疎遠になっていました。でもそれに対して何も離れてしまったという気持ちはありません。「連絡がないことは、元気に過ごしているに違いない」と思っています。

 

今年の正月に「暇なので会いに行きたいなぁ」とふと思い、連絡をしていました。3月に入りKさんから急に会いに行きたいけど大丈夫?と連絡があり、我が家に泊まりに来ることになりました。

駅で待ちつつ、10年以上会ってない、そしてマスク、正直見つけられるか不安でしたが、案外わかるものですね。

お互いに話が止まらず、近況等を話していました。10年ぶりかと思えないほど気を遣わずに、楽しい時間を過ごせます。彼女もそれなりに苦労しているが、屈託なく変わらないのが安心してしまう。

翌日、Kさんの提案でウロウロ自分達の母校周辺を散歩する事にしました。通学路の風景も変わっていたり、小学校の門は驚くほど小さい。中学校はそんなに変わらないねと言いつつ、校門の外から学校をのぞき込んだり。こんな普通な事なのに、とても充実した時間を過ごせたのが不思議です。

 

親友となると、会えない時間は関係ないと言うのが本当によくわかります。話は尽きないし、不思議と愚痴や悪口を言う事も聞かされる事が一切ないのが、やはり仲間や友達との大きな差を感じるます。たった少しの時間だったが、こんな有意義な時間を過ごしたのは最近ではありませんでした。

 

お互いに、元気でまた会おうねといって駅でKさんを見送りました。

このブログを書いて、もう一人の親友Tさんにも連絡をしようと思いました。

でもKさんとTさんって全く違うタイプなんですよね。でも二人とも私にとっての親友なのが不思議です。

今回伝えたい事

親友とは、自分が安心できる人