先日、元会社の同僚2人と会うことがありました。
その二人は学生時代なら絶対交わる事のないタイプです。私はどちらかと言えばクラスで端の方にいるタイプですが、彼女たちはクラスの中心人物タイプです。会社というのは年齢も離れている、自分では選ばないタイプと仲間になるので、良い刺激を受ける事が多く、別の視点からの話を聞くことは本当に面白いです。
その同僚2人ともバツ2でして、一人は子どもあり、一人は子どもなしです。子どものありの彼女から、
「バツ2になると世間から人としてどうやねん?って思われるねん」
という話になりました。
二人とも最初から離婚する気で結婚はしてないし、1回目の失敗は世間的にまあまあ許されるけど、2回目の失敗になると急に世間の目が冷ややかになるねん。こっちはとても傷ついてるのに何でそれ以上に関係ない人に色々言われないとあかんねん!と。
確かに。その通りです。傷ついているのは本人です。
私からしたらその2人はバリバリ仕事ができ、多少キツいかな?と思う所もありますが、意見はきちんとしてるし、綺麗だし魅力的です。私に比べたら男性からモテる人生を歩んでこられただろうなと想像がつきます。
でも、その時にふと「それ私も別の意味で同じや」と言ってしまいました。
私も何回も転職してて、誰も最初から辞めるつもりで職場選びしてないし、働いてみないとわからない事もたくさんあるのに、履歴書を見るだけで、我慢できない人と認識されてしまいます。私も仕事を続けるのがつらくなってしまう自分に傷ついています。
この二つの話。違うようで似ている問題な気がしてきました。
一日は、仕事とプライベートの2つの時間に分かれます。
- 仕事=職場ですごす時間
- プライベート=家ですごす時間
ほとんどの人が、この2つ時間を持って毎日暮らしていると思うのです。
この2つが穏やかに過ごせない事が起きたら、もっと穏やかに過ごせるようにしたいと思うのは人として当然です。誰だって自分の心地よい状態で過ごすことが幸せだと感じるからだと思うのです。
人によってこだわる部分が違って、
彼女たちは、プライベートに関して譲れない部分が大きく、しかし自分でそのこだわりを認識できていないところがある。
私は、仕事に関して譲れない部分が大きく、しかし自分でそのこだわりを認識できていないところがある。
のではないかなと思いつつ。
結婚相手と会社だと会社の方が圧倒的に多いし、結婚に比べたら就職のハードルは低いので、転職の方が世間的の目が極端に冷ややかにならないだけかな?と思ってます。
色んな不満に耐えながらでも頑張る事が日本人は好きだから、離婚・転職する人に対して厳しい目があるのかもしれません。でも今は違います。頑張ること、逃げ出すこと、どちらでも自分の心身が健康でいられる選択をしたら、それでいいのではないでしょうか?
今回の伝えたいこと
アントニオ猪木の名言
「元気があれば、なんでもできる!」