40代未亡人の迷走日記

日常のあれこれ、未亡人のおばさんが迷走している日記です。

こだわりがない原因を追究する

私はこだわりがないようです。自分ではこだわりがあり、好きなことが割と明確だと思い込んでいました。ですが他人に質問されると、全く答えられないのです。

 

好き嫌いがわからない

先日ママ友と話してると

「好きな食べ物は何?」と聞かれました。
うーん…

即答できませんでした。

「それなら、これが出てきたらテンション上がる食べ物は?」と聞かれて

うーん…

また即答できませんでした。

 

「それなら嫌いな食べ物は?」と聞かれて
これも具体的にこれが嫌!とすぐに思い浮かぶ物がありません。

小さな頃から好き嫌いすると怒られるので、嫌いと言わずに「黙って食べない」選択をしていました。食べ物を前に「嫌だ!」と口にするのは自分にとってかなりのタブーな事なので、他人が主張する時に「ええ大人がなぜ?」と驚くことはよくあります。
正直が現物を目の前にしないと思い出せないと言うか…

 

そのあと、こんなインテリアにしたいねんと言う彼女の話を聞いていて、

「どんなインテリアが好きなの?」と聞かれて

うーん…また即答できないのです。
貴方みたいにイメージが浮かばないんだよなと言うと

「それは散々色んなものに見てないからだよ。みたらイメージが膨らむ様になるよ!」
とアドバイスされたのです。

 

イメージが膨らまないのは諦めグセが原因

私は何事においても、イメージする力が弱い気がします。
どうせ実現できないし、考えても仕方ないと諦めてしまうクセがあるようで、イメージを膨らませる前に諦めてしまうのです。

「どうせ無理やし」「理想と現実は違う」とか
自分が努力する前に、イメージすることすら放棄してしまう傾向が強いです。

 

自分に妥協し、他人には献身的になる

自分の事は妥協してしまうくせに、他人に言われた事はやらなくてはならないと自分を犠牲にまでしてやろうとするのです。
仕事に対してそういう考え方を持っていることは、先日ふと気づいたのですが、結局全部そういう思考だったのです。

 

親に認められたい自分に気づく

こんな思考の自分に情けないと言う気持ちはありませんが、やはり親の教育が根底にあると思います。親のせいにしたくはありませんが、やはり子どもは親に褒めてもらいたいのが素直な欲求なのです。

私の親は何をしても否定するので、自分の主張より親に認められるための選択を必死にしていた気がします。
どれだけ努力しても母は認めないので、イメージすることも諦めてしまったのかと。
上手くいったときは、私を褒めるのではなく
「ほら、お母さんが応援したからでしょ?」でした。

母親には息子の子育てに関わらせたくなかったので、大変だったけど独立したことを思い出しました(笑)

 

人生も折り返し地点を超えたので、今更親のせいにするのも恥ずかしいし、今からでも遅くないので、自分に妥協しないチャレンジしようと思います。
何から始めるか…
手っ取り早くインテリアの書籍を読み漁ることにしよう。
薄っぺらい情報でも、チリツモで少しずつイメージが膨らむような気がしてくるかも。

 

今回伝えたいこと

自分を見つめると、新しい事に挑戦できることが見つかるかも