ここ数年、母の日を忘れられています。色々忙しいから仕方ないと思いつつ。毎日家の中で顔を合わせているのに何となく悲しくなります。
母の日はカーネーション1本でも嬉しい
子どもが小さい頃は息子が小銭を握りしめて自宅近くの花屋さんにカーネーションを1本だけ買いに行ってくれていました。花屋さんもおまけでかすみ草をつけてくれたと教えてくれていました。
たとえ1本のカーネーションでも息子が買ってきてくれる行為が「母親やってて良かったな」と子育てが報われる瞬間。
小さい頃は、学校で「母の日」ということを教えてくれる事もあり、数日前から「お花を買いに行かねば」と息子のスケジュールに「母の日」が大事なイベントだと位置づけされていました。
自分から「明日母の日だからね!」と主張するのは非常に恥ずかしく情けないので、第三者から「母の日」を息子に知らせてくれなければなりません。学校が第三者の役目を担ってくれていたので、本当に感謝です。
思春期以降、母の日は消えた
学校側が母の日を伝えなくなると(そんなんいい加減に自分で気づけという年齢に達した)息子は気づくわけもなく。そして私が「母の日だから!」と言えるわけもなく。母の日は自然消滅。
TVでも母の日のCMをやっている様に日々の生活の中で「母の日」を目にすることがあるはずなのに、息子の意識には一切届かないようでした。
なぜ?そうなるのだ?不思議で仕方ない。かといって自分から気づかさせるものでもなく。
男性だから気づかないというのはちょっと違うと思っています。うちの兄は私よりこういうイベントにはきちんと対応する男でした。やっぱり根本的な「意識の差」ということになるんですよね。
ああ。母の日を意識されてないっていうことか。
今年は自分から母の日を主張した
今年も母の日を覚えているわけもなく。昼間にやっている阪神戦をみて
「何で今日こんなピンクなん?」
と言うので
「母の日だから特別仕様らしいよ」
と言い、私の中で今だと思ったので
「今日は母の日なので、休息日にします!ご飯は作りません!」
とにかく今日ぐらい家事放棄したかったので主張してみました。
「あ…そうですか…」
反論できない息子でした。
母の日に苦手な料理をお休みさせてもらっただけで私は大満足。
いつまで一緒に暮らせるかわからないけど、母の日は苦手な料理をお休みさせてもらおうと思います。
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今回伝えたい事
よく考えたら自分も母親に何もしていない事に気づいた。