義親の老いを目の前にすると、今まで漠然と頭で理解していただけだと知りました。
私の目から見ると義母には生きていく気力がない気がします。
義父が施設に入ってしまってから、母は自分1人のために生活を送ることになり、何もかもやる気が起きなくなってしまいました。
父親の日々の世話を大変と思いつつ、生きがいになっていたのだろうなと。
子どもが巣立ってしまった後の私もそうなるかもと思うと、他人事は思えない部分がありました。
この前、TVで100歳の元特攻隊として戦地に行った男性が、戦争体験を語っているのを見ました。
100歳には思えない、しっかりと凛とした方です。驚きました。私には戦争を語り継ぐ使命があると思っていると話されていました。
確かに、今戦争に行った方はもう限られた人しかおらず、その中で語れる人はもう数えるぐらいの人しか居ないのではないでしょうか。
尊敬なんて簡単な言葉で表すと失礼なぐらい、すごい方だと感じました。
この方を見ていたら、
やはり生きていこう、生きていく使命を持っているかどうかで、老いていくスピードが違う気がします。
私も日々年齢を重ねて、身体が動かなくなって無理できないことが増えてきています。
身体が動かなくなっても、自分の中で生きていく使命を持ち続ける事は、年齢に関係ないよなと。
自分中心に考えた使命は、たぶん意味がない気がします。
誰かに求められるような使命でないと、生きていく使命にならない気がします。
でも、私って
何ができるの?
何もないぞ…
でも、何かあるとは思うねんけどな…
今日伝えたい事
老いてきてからが、人生の本番の気がする