最近は、何か問題が起きると危険を予測できなかったのではないかと相手方に強く責任を求める傾向があるなと感じています。
確かに、そうなんだけど。
危険の予測の範囲の広さは、個人の想像力に関わってくると思います。
たくさん身体的に怪我をする事を経験したり見てきた人もいれば、ちょっとした操作で怪我したり大きな影響を与えたりする事を見てきた人もいます。
今の生活は過去の人達の経験によって、危険を予防する習慣ができているんだなと思います。
そのたくさんの予防のおかげで安心安全に暮らせている反面、どうして予防しなければならないと言う理由がわかっておらず
先生がダメって言う。
上司がするなと言う
となぜそう言っているのかを疑問に思わないまま従っている人も多いなと感じます。
危険を予測して予防する事はとても大事だけど、予防する本当の理由を考えず過度な予防をすることはどうなんだろう?と
失敗を経験できない事に繋がり、それは予防を発見するきっかけを失ってしまっているのでは?
私は時々そんなことを考えてしまう。
でも危険予防や予測をして対策しておかないと、命の危険にかかわる事も多い。
最近、そのバランスを取るのが仕事の中ですごく難しい。
気づきを与えたいと思ってやったことが
「どうして事前に何も対策とらなかったんだ!」
「危険回避するために、あれこれやっておくべきだ!」
それはそうだけど。
他人が先回りしてやってくれたことって、案外自分では気づかない。
こういう理由でやっているんだって言えるならいいけど、そんな時間がなかったり。
自分にとっては当たり前だから、伝える必要ないって思い込んでいたり。
日本人は空気を読むのが美徳の国民性だからこんなに悩むのだろうか。
色々壁にぶつかる6月です。
今回伝えたい事
何事も、バランスって難しい。